崔 銀惠博士を偲んで

私の妻であり,共同研究者でもあった,崔銀惠博士は2019年12月15日に逝去しました.享年45歳でした.4年間の闘病の甲斐なく,誰よりも先に旅立っていってしまいました.

崔銀惠博士は1993年に大阪大学大学院基礎工学部情報科学科に入学,1997年に大阪大学大学院基礎工学研究科情報数理系専攻博士前期課程に進学し,1999年に修士(工学),2002年に博士(工学)を取得しました.博士論文は「k-Coteriesを用いた相互排除方式の提案」でした.その間,日本学術振興会の特別研究員にも採択されており,とても優秀な学生でした.
2002年に株式会社東芝に入社,研究開発センターに配属されました.Xpathの検索技術などを研究し,国内外での特許も取得しています.2003年に退社し,その後,2004年に産業技術総合研究所(産総研)の非常勤研究員となります.産総研ではモデル検査や形式手法についての研究を行い,後に組み合わせテスト技法の研究を中心に行うようになります.正規雇用に転換した後,主任研究員として京都工芸繊維大学や大阪大学との共同研究を精力的に行いました.

彼女は生涯に61本の論文を公表しました.[論文一覧]うち22本は私との共著であり,そのほとんどは2015年以降に書かれたものでした.それ以前は,子育てなどもあり,あまり共同研究ができる環境ではなかったため,やっと二人で研究ができると喜んでいたのを覚えています.

共著論文として執筆したものの中で印象に残っているものはQuASoQ2016の論文「Code Coverage Analysis of Combinatorial Testing」[1]です.この研究では組み合わせテストにおける,t-wayテストのコード網羅性を実証的に調べたものです.これまで,t-wayテストはtが割と小さいときでも十分な不具合検出ができることは知られていましたが,コード網羅性については十分に研究されていませんでした.そこで,我々は実際のソフトウェアのデータを用いて網羅的な実験を行い,実用的なコード網羅性が得られるtの値を調べたのです.私は実験のためのツールを作り,データを取り,妻が論文を書く,という分担がしっかりできた初めての研究でした.ワークショップに発表した後,さらに実験を加えて論文誌に投稿する予定でしたが,道半ばで病を得てついに実現しませんでした.落ち着いたら実験の過程を再現して何とか投稿したいと思っています.

他にも彼女は研究のアイディアを多く語ってくれていましたが,研究のことでは「どちらがどのアイディアを出したのか」をいつも確認しながら話を進めていました.彼女はプロ研究者として,大学にいる私の甘い部分をよく指摘してくれました.本当は,あまり新しいことを考えるのは得意ではないため,できたら論文の校正や論理の補強みたいなことが仕事になれば良いのに,とも漏らしていましたが,それは自分の能力に対する謙遜が過ぎていたと思います.しかし,論文に朱を入れている時は,本当に楽しそうでした.

私の研究室の学生に産総研でRAとして働いてもらいながら,共同で研究を進めるスキームを確立してくれたのも彼女でした.多くの学生がその恩恵を受けています.学生の成長していく姿を見ながら「かなりしっかりしてきたね」と喜ぶなど,教育者としても大いに活躍できたはずでした.
(2024年追記) 妻と共に指導して博士を取得した西浦生成先生が,当研究室に助教として着任してくれました.感慨もひとしおです.

彼女は常に外の世界を向いていました.短期で海外へ出張・旅行するのも好きでしたし,長期で行くのももちろん好きでした.2012年に念願叶ってカナダへ行ったときには,現地の人に移住するつもりなのかと思ったと言われるほど,その地に溶け込もうとしていました.韓国や日本の雰囲気は彼女にあまり合っていなかったのかもしれません.

彼女に出会ってから23年,パートナーとしても16年,彼女の思い通りになっていなかった時期のほうが長かったのかもしれません.やっと安定して研究に取り組める状況になったのに,このようなことになったのは本当に悔しく,無念だったろうと思います.

今の私にできるのは,せめて彼女が心配しないように,がっかりしないように,研究を続けていくことでしょう.それでも、私が道に迷ったときに隣にいてくれて相談できないのは本当に寂しく辛いことです.

[1] Eun-Hye Choi, Osamu Mizuno, and Yifan Hu, “Code Coverage Analysis of Combinatorial Testing,” In Proc. of 4th International Workshop on Quantitative Approaches to Software Quality (QuASoQ 2016), pp. 34-40, December 2016.